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世界のベンチャー起業家を取材した実録旅行記

Chaewon YOO ユ・チェウォン

皆さんこんにちは。私の名前はユ・チェウォンです。

日本語はあまり得意ではありませんが、日本がとても大好きです。私の父が日本で博士課程を修了し、日本で仕事をしていました。私もいつか父のように日本で働いてみたいと思っています。日本語が聞きづらい部分もあるかもしれませんが、ご理解のほどよろしくお願いします。

私はこの旅行を2人でスタートし、1人で戻って来ました。夏に旅を始めこの自転車を持っていき、泥棒にもあいました。これからこのストーリーについてお話させていただきます。

私は21歳のときに「世界で学びながら走る」という目標をたてました。私は韓国語、英語、中国語、スペイン語の4ヶ国語を話すことができ、特技は迷わずチャレンジすることです。

2013年には7ヶ月の間、イスラエルに韓国のスタートアップであるネイルビのグローバルマーケティングマネージャーとして派遣され、イスラエルの起業教育センター StarTauの起業過程を終了しました。『イスラエル、彼女のスタートアップインタビュー(Startup Interview)』というテーマでイスラエル、シリコンバレーのスタートアップのオフィスを70ヶ所訪れ、ユーチューブインタビューを行い、beSUCCESSに記事を寄稿しました。

2014年には3ヶ月の間、シリコンバレーで韓国データ可視化企業であるニュースゼリーの事業開発者として派遣されました。

2015年からは3年5ヶ月間、中国のITメディアであるテクノードで唯一の韓国人英文記者として中国企業のニュースを英語圏の読者、そして韓国人に伝えていました。

この経験を活かし、『中国スタートアップのようにビジネスをしろ』という本を、サンサンラク創意センターのキム・ヒジュン代表と共に執筆しました。

2012年にエクアドルで1年間ボランティアをしたのですが、その時は携帯電話を持っていきませんでした。唯一の楽しみはパソコンでアン・サンウン氏の自転車旅行のドキュメンタリーを見ることでした。このときからずっと、自転車旅行をするのが夢でした。

テクノロジー企業の記者は業界のニュースをいち早く伝えなければいけません。この仕事を5年間続けました。もし私が他の新しい国で仕事を始めたら、またこれまでのように飛行機に乗ってパソコンと携帯電話で仕事をするのだろうと思うようになりました。私は仕事ではなく、違うことをしたかったのです。自転車を選んだ理由は、飛行機や汽車や自動車のスピードが速いと感じたからです。人間の速度で他の国の文化をゆっくりと観察したいと思い自転車旅行を決意しました。

私の名前、チェウォンは「根源を探る」という意味です。今、このプロジェクトを通じて私の夢と根源を探っている途中であり、誰かもそうなることを願っています。

シルクロードの上で自分の根源を探すという意味でプロジェクトの名前を『SeekRoad』と名づけました。

私はこのプロジェクトで3つの約束を掲げました。1つ目が中国・上海からイギリス・ロンドンまで自転車でユーラシア大陸を横断する。2つ目が、シルクロードにある国でスタートアップの起業家にインタビューする。3つ目が各国でセミナーをすることでした。

私がスーパーウーマンだからこれらを達成したわけではありません。私は3月に健康診断で骨密度減少症の診断を受けました。ですが、私は若さを信じて出発しました。

自分の夢をかなえる方法は周りの人に夢を話すことです。自転車旅行の計画を周りの人たちに話したことで、使わなくなった自転車やユニフォーム、カバンなどを私にくれたりしました。私は元々シェアサイクルを利用していたのですが、ロードバイクでサイクリングを始めるのにお金はあまりかかりませんでした。自転車のメンテナンスの為に千円かかった程度でした。

2018年3月1日、上海に戻った私はサムクルーズに自転車同好会に入れてくれとお願いしました。グループトークで私は『はじめまして!上海からトルコに自転車旅行をしたいエバです!』と自己紹介をしました。

当時、私の目標はトルコのイスタンブールに到着することでした。そのとき、ドミニクという女性が私をウィーチャットに追加しました。彼女も自転車旅行をするといい、私を彼女の家に招待してくれました。

3月11日、私は彼女の家を訪れました。ドミニクは彼女のご主人と共に上海からイギリスにある家まで自転車で行くといいました。彼らは当時、60歳でした。私は彼らを見て、

60歳でも行けるなら私もできるはず!

と思い、目標をトルコからイギリスに変更しました。

3月に私は上海にある自転車同好会に加入しました。RideNowという自転車同好会のメンバーは朝6時にあつまり、上海の市内をサイクリングします。私はいつも最後にいました。スピードが遅く、何度も追いつけなくなることもありました。同好会には6回ほど参加しました。ある日、私はドミニクと共に他の自転車グループとチョンミンダオという島に行きました。初めてのライディングで100キロ走りました。私は旅行前、Feel Cycleのレッスンを6回受け、旅行5日前には自転車工場を訪れ自転車を修理する方法を学びました。また、テントをテストするために私のテントでキャンプをしてみたりもしました。上海にはデイビットというスペイン人のサイクリストがおり、彼は2008年にスペインから北京まで自転車で行ったことがあるという話を聞きました。

3月13日の火曜日、午前6時30分。私が信頼している人たちが10人ほど集まった集まりで上海からイギリスまで自転車で行くアイデアを15枚のパワーポイントで発表しました。彼らはそこで私の発表内容にたくさんのアドバイスをくれました。私はそのフィードックを元にパワーポイントを完成させました。

私は記者として3年5ヶ月働いていたため、人脈には自信がありました。当時、私はアリババやテンセント、ファーウェイの役員の名刺を持っていました。私は中国の10の大企業にパワーポイントと企業にあった内容、役員と撮った写真を入れた提案書を送りました。私にはプランAからDまでありました。プランAは中国の大企業がスポンサーとなること。プランDは自費で旅行をすることでした。私は毎週火曜日を次のアクションプランを実行する日に決めました。火曜日にアリババに提案書を送ったとします。金曜日までに返信がなかった場合は月曜日にフォローアップし、提案書に対する意見を聞き、それでも返信がそれでもなかった場合、次の日の火曜日にスポンサーになってくれる違う企業を探すのです。

3月22日、アリババに提案書を送りました。

3月27日火曜日のカレンダーには『アリババからファンディングは受けたか?』と書いてありました。

スポンサーを探すのは簡単ではありませんでした。私は中国と韓国のすべての人脈を使ってプロジェクトのスポンサーを探し歩きました。4月になってもスポンサーを探すことはできず、そんななかチャイナタンのキム・ソヌ代表が韓国で講演する機会をくださり韓国出張に行くことになりました。そして、ホームである韓国でスポンサーを探すことにしたのです。韓国に行く1週間前、私は提案書を英語、中国語、韓国語で翻訳し外部に公開しました。フェイスブックやリンクドイン、ネイバーブログ、ウィーチャットのすべてのグループトークに提案書をアップしました。

4月25日に韓国で講演を終えた後、韓国最大の中国語学習企業であるチャイナタンのキム・ソヌ代表が私のスポンサーになってくださるといってくれました。また、私と1年半の間、ポッドキャストの進行を共にしていたネオフライチャイナのシン・ドンウォン代表、中国の投資家であるジェイスン・シューが投資をしてくださることになりました。中国の投資家は本当にクールです。私の提案書を見て、君の勇気は立派だといってウィーチャットペイで約10万円を送ってくださいました。

自転車旅行を1人で行くのが怖く10人ほどの体力のある知人らに提案書を送り一緒に行こうと説得しました。ですが誰もこの旅行に興味を示さなかったのです。なぜならこの旅行は仕事をやめ、家の管理も頼まなければいけなかったからです。3月末には私は1人で行かなければいけないのかと諦めていました。

3月28日、アリババクラウドのカンファレンスが中国のシンセンで開かれました。シンセンには私の友人がいました。1年に2回ほどシンセンで食事をする友達でした。私はいつものようにカナムに連絡しました。食事をしながらカナムに私の計画を話しました。カナムは考えてみるから1週間待ってほしいといいました。

4月4日、カナムから連絡が来ました。驚くことにカナムが一緒に行ってくれるというのです。ですが条件がありました。私がスポンサーを受け、費用をすべて負担してくれるなら行くというのです。

4月17日、『まだファンディングを受けれなかったら、韓国で首をくくるしかない』と書いてあります。クラウドファンディングをする前に、企業からスポンサーを受けようとしていた頃でした。

4月24日、『韓国でファンディングを受けるためにプレゼンをする。』とあります。 韓国でもスポンサーを探すの簡単ではありませんでした。

5月の第一週目に上海で自転車博覧会が開かれました。世界中から数千の自転車会社が上海の博覧会に集まるのですがその規模は本当にすごいものです。私は博覧会に参加し、自転車会社に私のアイデアを言いました。

『こんにちは!私は上海からイギリスまで自転車で行こうと思っています。ぜひ協賛してください!』と。

皆、私を変人扱いしたり、困った表情をしていました。ですが、中には私の話に耳を傾けてくれる人もいました。3つの会社の代表とはなしをし、2つの会社の責任者とも話をすることができ、5つの会社から比較的肯定的な返事を頂くことができました。彼らと私はセルフィーを撮りました。そして彼らとウィーチェットを交換し写真と共に提案書を送りました。中国人はメンツがあるので会った時にはOKといい、話を進めると色々な理由でだめになるというケースがあるのです。台湾の会社の代表や責任者らは肯定的な反応を見せてくれ、結果的にスポンサー会社をオヤマに決めました。

こういったプロジェクトを進めるときに必要なのは背水の陣です。最低でもいつ出発するかということを決める必要があります。私にとってそれは送別会でした。友人の前で送別会をしたら絶対に出発しなければならないからです。

送別会の前日、魔法のようなメインスポンサーとサインをし自転車の協賛を受けました。そしてそれ以外にも3つのシルバースポンサーを獲得しました。

このプロジェクトのメインスポンサーは上海のブロックチェーン企業であるロビンエイトとなりました。シルバースポンサーは私を3年以上見守ってくれた韓国企業がつくことになりました。このプロジェクトを商業的な利益を見出せるというよりはスポンサーがみつからなかったらという気持ちからしてくださったようです。韓国のベンチャーキャピタルのプライマーとスパクラブス、韓国のスタートアップ企業の海外進出をサポートするアライアンス、韓国旅行スタートアップのマイリトルトリップが支援してくれることになりました。エンターメディアは携帯用マイクを作る会社で週に1曲歌ってくれとマイクを協賛してくださいました。

製品のスポンサーは台湾の自転車会社であるオヤマ、韓国国内アウトドアウェア企業であるコロンスポーツ、中国のデザイナーブランドであるトリック、台湾のフラッシュメモリー製品の製造メーカーがしてくれました。ウィーウォークやアメリカの翻訳会社であるガーデンズも支援してくれました。

5月17日

カナムが荷物を持って私の家に来ました。私はこの日を忘れることができません。私の家のドアをたたき、ドアを開けると黄緑のTシャツを着たカナムがスーツケースひとつで私の家を訪れたのです。

本当に2人で出発するんだな。

私はカナムを見て実感しました。カナムが後日、教えてくれたのですが、私が『もうすぐ30になる。やりたいことがあったら今すぐしなければいけない。』といったのをきっかけに心が動いたといいます。

5月24日

私たちは上海のウィーワークで開かれたシークロードランチングパーティーと送別会をしました。昨年12月から夢見てきた日です。その送別会を私の絵の展示会も同時に行いました。

私の誕生日の二日前の6月2日、私たちは出発しました。生まれてから一番の誕生日プレゼントでした。

6月、7月は上海から蘭州まで自転車で移動しました。上り坂も多く、中国の河南省は補正されていない道路と大型トラックが多くとても危険でした。

私たちは雨の日も走り続けました。スリッパで自転車をこぐこともありました。

雨の日にタイヤを交換するのは本当に大変でした。

舗装されていない道路に雨が降ると大きな水たまりができ、移動するのが本当に大変でした。

自転車が倒れることが多く、ひざや腕にはあざが多くできました。

私は2、3回ほど日射病になりました。日射病はひどいときには死にも至ります。そういった日には日が落ちるまでまってから出発することもありました。私たちは7月の最後の週に西安から各自違う時間に自転車にのり移動しました。私は朝型人間で、12時の太陽に弱かったため午前6時か7時ごろに出発しました。カナムは午前9時から10時におき、自転車に乗るので私たちは目的地で集まることにしました。

西安で私はカナムが13カ国のビザを受け取るまで待たなければなりませんでした。韓国のパスポートは世界で3番目に優秀なパスポートです。私はアゼルバイジャンの4万ウォンのビザ以外、ビザがいりませんでしたがカナムは13カ国のビザが必要でした。私はその間、ハンドドリップコーヒーの課程を聞き、油絵を描きました。

<中国散歩> 私とカナムの上海から西安までの自転車旅を描いたものです。

ここは中国とカザフスタンの国境にあるセイラム湖です。

カザフスタンにいるとき、ウイグルの子どもたち10人ほどが一緒に写真を撮ろうとやってきました。そして自分の家に招待したのです。そのお家で10人の子どもと5日ほど一緒にいました。

次に、フェリーでカスピ海を渡りました。

そうしてアゼルバイジャンのバーグに到着し、グルジアを過ぎ、トルコに着きました。10月17日、トルコのトラブゾーンでイ・カナムは突然プロジェクトをやめ、イーメール、ウィーチャット、ワッツアップから私をブロックしました。表向きな理由としては、私はこの中心部であるカッパドキアに行きたかったのですが、カナムは黒海に沿ってロンドンに一番早く着くルートに行きたかったからです。また、私たちは正反対でした。私はガソリンスタンドやテントで泊まることや料理することは嫌ではありませんでしたが、カナムはホテルに泊まったり外食をするのが好きでした。

ここから私はウォームシャワーを利用してホストを探しました。ウォームシャワーとはカウチサーフィンのことなのですが自転車旅行者のために現地の人が家を開放し、とめてあげるサービスです。アゼルバイジャンからこのサービスを利用し始めました。

この日は、カナムが旅立った日です。傾斜がすごく、二日かけて自転車で頂上に到着しました。この写真は頂上で撮った写真です。

カナムがいなくなったため、これからはテントで泊まることができると思いながらガソリンスタンドに入っていきました。テントをたてたのはいいものの急に怖くなりテントにマットをひいて寝袋で寝ました。

そして、カッパドキアに到着しました。ここに来るまでに雪が降り、1人で移動するのも2週間がたったころだったのでとても大変でした。また、いつかカナムが戻ってくるかもと考え、誰にも話さずにいるころでした。ここで私は決心しました。もう雪が降ることだし、ガソリンスタンドで寝るのは辞めようと思いテントをあげてしまいました。

そしてギリシャに到着しました。冬にクロアチアに行ったのですが雪雨のせいでとても危険でした。雨は降り、風が強く下り道では前に進むのがとても大変でした。さらに海岸沿いの絶壁だったため事故になったらいけないと思いスプリットからアンコナまでフェリーで移動することにしました。

ギリシャで青い空を見る機会はそう多くありませんでした。冬のヨーロッパは灰色の空のときが多いのです。ココはアルバニアの国境です。

モンテネグロにいるとき、携帯電話が完全に壊れてしました。私がモンテネグロ、クロアチアの2ヶ所の修理店にいったのですが直らないから新しいのを買えというのです。ですが私は絶対にアイフォンでなくてはいけませんでした。しかしここらの都市にはアイフォンを売っていないのです。そのため7日間、携帯のないままクロアチアの2番目の大都市であるスプリットでアイフォンを購入しました。

12月30日、イタリアのミラノで自転車泥棒にあいました。このままミラノから飛行機で帰国するか、自転車を新しく購入するか。1ヶ月で旅は終わるのにこのまま旅行を終わらせてはいけないと思い、中古の自転車を買うことにしました。

私はフランスに24日間滞在し、田舎町や都市では私を招待してくれるホストたちがいました。あまり知らない人をフランスの人はあたたかく迎えてくれ、本当に感動しました。幼い子ども2人を養子に迎えた2つの家族と、避難民を助け家族になった人たちにも会いました。

私はイギリスを旅立つ前日、ロンドンの南にある小さな村・ペルポンを訪れてこの旅行をするきっかけとたくさんのアドバイスをくれた60歳のフランス人であるドミニク・クラークに会いました。この夫婦に会うことはヨーロッパにいる家族の家に行くような感覚でした。

私、ユ・チェウォンはロンドンで韓国のインチョン空港に向かう飛行機に乗り空港から家までの約55キロを自転車で行き、私のすべての旅を終えました。

私が家に帰ったのはちょうど旧正月のときでした。37人の親戚が私の帰国をお祝いしてくれました。2月2日の旧正月に間に合うように1月は急いで移動しました。

これらは旅の記録です。1日の最長走行距離はポラトルからエスキシェヒルまでの163キロです。1番暑かったのはカザフスタンのチュンジャで36度。1番寒かったのはフランスのマイナス3度。1番高かった高度は2281キロの中国の定西。1番高かったホテルはイギリスのニューヘブン。1番安かったホテルは中国の甘粛省の50元。10軒の家のドアをたたいて一晩泊めてほしいとお願いました。このとき10回断られ結局ホテルに泊まりました。私を泊めてくれたホストは71人でした。

私がセミナーを行った場所。上海、南京、西安、カザフスタン、 アゼルバイジャン、クルジア、トルコ、ギリシャ、アルバニア、イタリア、フランス、イギリスでした。

インタンビューワンとどのように交渉したかというと、2018年5月スイスで開かれたカンファレンスに世界中のスタートアップ企業が参加しました。私はシルクロードの上でスタートアップにインタビューをし、各国の起業家や投資家、記者の連絡先を受け取りました。中でも1番印象に残るインタビューはベックマーケットです。

フランス企業である「Back Market」の創業者のティボをインタビューしました。この企業は故障した携帯やノートパソコン、各種電子機器や家電製品を直して中古で販売するスタートアップ企業です。簡単に捨ててしまう電子機器問題にとても関心があったのです。この企業の簡単に捨てられてしまう電子機器を直し、再び販売することで社会に貢献するという点がとても気に入りました。ティボとの出会いが環境に対して深く考えるきっかけとなり記憶に残っています。

このように8ヶ月の旅行にかかった費用は約140万円で、1ヶ月に約17万4千円。1日約5600円使いました。

今、私は私の書いた本である『 中国スタートアップのようにビジネスをしろ』を元に講演やコンサルティング、自転車旅行記の講演を行っています。7月に私が書いた『大陸の娘、ユーラシア自転車横断』という本が出版されます。11月にはドイツに行き、働く予定です。

本の収益はトルコに寄付する予定です。トルコは朝鮮戦争のとき、韓国を助け、旅行中も無条件で私を助けてくれた国です。

これは私のユーチューブチャンネルです。https://www.youtube.com/channel/UCArwIZ7hLEv4uLl3L4eD2CA?view_as=subscriber

皆さん、ご清聴ありがとうございました。

Translation from Korean to Japanese: Yoshie Murata

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